□教会生活で大変だと思ったことは
梶川:子どもながらに、貧乏だなとは思っていました。服は、継ぎはぎされているものばかりでしたし、苦労というか、将来そこをなんとかしないとと考えていたのはあります。中学くらいから兄弟姉妹も新聞配達などを初めて、そのころから少しだけ楽になったかなという気はしましたが、それ以前は大変だったなと思います。
□楽しかった思い出は
梶川:貧乏な中にも、友達がよく集まって。古い建物の教会でしたが、普通のお宅よりは少し広いですし、友達が集まって遊んでいたのは楽しかったかなと思います。
□神様を感じた瞬間はありますか
梶川:感じたというか、神様に必死でお願いをしたというのは、ごく最近の出来事でした。それは、三人目の子どもが生まれるときに、妻が感染したりんご病におなかの子どもも感染して、生きるか死ぬかという状況になったときです。現代医療では、治療のしようがなく、対処療法をして、ただ自然治癒力に任せるしかない。
それで、なんとか助かってほしいと思い、必死に神様にお願いをする、神様と向き合う時間がそこから始まりました。それまで心定めっていうのはしたことがありませんでしたが、自分が一番苦手なことをさせてもらおうと思い、毎日の十二下りまなびと、戸別訪問のにをいがけを始めて、なんとかご守護を頂こうと思いました。
皆さまのお陰様で、その子も無事に生まれてきてくれて、元気に過ごさせてもらっています。よかったなと思いますね。
□それが信仰の元一日ですか
梶川:そこが必死になった瞬間だったので、そういわれればそうなのかなと思うぐらいですね。ずっと生きている中に、当たり前に天理教があったので、生活の一部であって、元一日っていうことは考えてなかった。たぶん、いろいろなものに対する考え方も、無意識のうちにお道がベースになっていると思います。
□後継者として意識したのは
梶川:長男として生まれてはいるんですが、実は男が5人もいるので、だれかがやるだろうという意識でした。でも、それぞれが結婚をし、家庭ができて、家を建てたりしていく中で、やはり自分がさせてもらうのかなと、だんだん思うようになって。正直言うと、どこかで逃げたい気持ちはずっとあったと思います。
□お運びのときの心境は
梶川:当日は具合が悪くなるくらい緊張してて、おかきさげをいただくときは緊張で手が震えていました。その後、教組殿で参拝させてもらったのですが、そのときに初めて実感をして、緊張から解き放たれた安心感もあったのか、涙がぽろっと落ちたのを覚えています。やはりとても尊いものなんですよね。高校生でおさづけの理をいただいたときは、全くわかっていなかったのですが。
それと、お運びの前日もやはり落ち着かなかったので、大教会長さんとお話がしたくなって一緒にお酒を飲みました。大教会長さんとは同級生で、ずっと友達だったので、ここで一区切りをつけたという思いもありましたし、その機会を通じて緊張が少しほぐれたことはありがたかったですね。
▼かじかわぶんご 39歳 天理高校卒、天理教校専修科修了。トヨタ系工場に勤務後、現在の会社に就職、今に至る。令和4年6月26日、教会長の理のお許しをいただき、サラリーマンと教会長の両方を懸命に勤める多忙な日々を過ごす。
□会長となって、変わったことは何ですか
梶川:みなさんに「会長さん」って呼ばれるようになったのが一番の変化ですかね。ここの責任者だなって実感します。それまでは、「文吾!」って呼ばれてたんですけどね。他には、毎日朝夕のおつとめで拍子木を勤めさせてもらうこととかでしょうか。
教会のご用については、前会長が去年も半年以上は教会を空けていたので、ほとんど私たちがさせてもらっていました。そういう期間があったので、スムーズに引き継ぎもできているかなと思います。前会長が健在のうちに交代できたことは、本当にありがたいことです。
□前会長さんとは
梶川:良くも悪くも癖のある方ですね。私たち兄弟には、分け隔てなく厳しかった印象です。でも、そのおかげで、もちろん親子なんですけど、会長と信者さんという関係に近かったところもあって、信仰的にはそれが成長できた原動力になっていると思います。そうやって厳しくしてくれる人ってけっこう稀かもしれませんね。
□親族に信仰が伝っていて、縦の伝道がしっかりされている印象ですが
梶川:それは、私の祖父母である、初代会長夫婦のおかげだと思いますね。お二人が苦労して通られたことが、前会長兄弟姉妹世代の信仰に繋がり、さらには新生生の今の土台にもなっていると思います。
もちろん、私たち世代の考え方はまた違うんだけれども、それでも初代夫婦が道を長く繋いでほしいという思いみたいなものが、親を通じて今の私たちにも流れているんじゃないかと感じますね。
□初代会長夫妻の思い出は
梶川:私が年長のころ、初代会長に連れられてリュックサック一つでおぢばに連れて行ってもらうというのを頻繁にしていたので、当時はすごく身近な存在でした。でも、祖母の方が、大人になってからもずっと一緒に住んでいたのもありますし、最期は介護もさせてもらったので、より思い入れが強いかもしれません。朝4時くらいに起きて、私に「お菓子食べなさい」って言ってくれたことも、今ではいい思い出ですね。
お二人とも、道の信仰を繋ごうと必死だったと思うので、私の会長就任を喜んでいてくれると思います。
□尊敬している人は
梶川:実は、義父(妻の実家の父)をとても尊敬しています。義父は、義母(妻の実家の母)と出会ってから天理教を信仰している方なんです。若くして役職をもらって仕事をしていた人が、天理教になって専修科に行き、住み込み生活をして、会長になったというプロセスがあって、その考え方、生き方を参考にさせてもらっています。
困ったとき、行き詰ったときに、相談させてもらうことがあるのですが、その一言一言というのが、自分の心を動かす言葉をかけてくれる。口数が多い方ではないですけど、「私はこういう風に思うけど、参考程度に聞いてね」って話してくれるんですよね。ありがたい存在です。
□仕事との両立は大変じゃないですか
梶川:大変じゃないとは言えないですけど、自分の通り方だったり、仕事への姿勢がすべて天理教の看板を背負っていて、ある意味にをいがけをしている感覚はあります。天理教ではこういう風に考えるよと、従業員の方にも話す機会もあります。
□好きなお道の言葉はありますか
梶川:以前から合間におさしづの解釈本を読んでいるんですが、その中にあった「小さい事から始め」というお言葉がとても心に残っています。
大きな目標があるんだったら、それを達成するためにコツコツ積み上げることが大切だということがおさしづに書いてあったので、教祖のお言葉だと思うととても心強くて、それはすごく自分の中でスッと治まったお言葉でしたね
□挑戦したいことは
梶川:挑戦といえるかわかりませんが、教会報を作り始めました。大龍さんを参考にさせてもらったのですが、一つ工夫したことは編集を教会役員さんと弟にお願いをしたこと。四半期ごとの発行が目標で、私が作るのとは違う目線で書かれているのが魅力です。今の時代、FacebookなどのSNSもたくさんありますが、それだとこちらから一方的に配信する形になってしまいますし、あえて手間をかけて記事を集め、信者さんにとってより身近な話題を発信して、繋がりを深めることができればいいなと思っています。でも、あまり気を張らずに、ぼちぼちと長くやれたらいいかなという思いです。
□縦の伝道のために必要なこととは
梶川:親が楽しそうにしていないと伝わらないんじゃないかなというのは日々考えていますね。
もちろんいろいろな考え方があると思いますけど、信仰したらこんなメリットがあるとかではなく、親が信仰を楽しそうにやっていたら、子どもはおのずと楽しいものなんだって認識するような気がします。逆に、親がめんどくさそうに、苦痛の顔でおつとめしていたら、おつとめっておもしろくないんだなっていう風に思うだろうし。
でも、やはり教会はおたすけをするところなので、なかなかそれが難しいですけど、なるべく楽しめる方向に心を向けるようにする。これが今抱えている課題の一つなんですけど、努力しようと思っています。
□教会の未来予想図は
梶川:正直言うと、長期的な展望は描けていません。でも毎日、一人でもいいので、誰かが教会の境内地に足を踏み入れてくれる、そういうことが続いていけば、生きた教会になるかなと思います。
縦の伝道はもちろん大切ですが、近所の子どもでも、おじいさん、おばあさんでもいいから、地域の方がここを天理教の教会として認識をして利用してくれることが毎日あるような、そういう場所になればいいなと思います。