□生い立ちなどについて教えて下さい
柴田:私の父と、錦之旗2代会長、柴田昇治郎さんは兄弟なので、昇治郎会長さんは私の伯父。ですから、年は離れていますが、博行会長さんとはいとこの関係になります。美唄南高校、北海道介護福祉学校を卒業し、美唄市役所の福祉課、社協、その後札幌に移り、現在の職場で仕事を続けています。今は、妻と二人暮らしです。
□どんな子どもでしたか?
柴田:写真で見る限り、おかっぱ、ちびまる子ちゃんみたいで、まつげが、無駄に長く、よく女の子に間違えられていたみたいですね。性格は、そんなにしゃべる方じゃなくて、どちらかと言えばおとなしめ。最近は、仕事の影響か、はっきりものを言うようになってきましたが(笑)。
□ご両親の信仰については、どのように聞いていますか?
柴田:幼少期の兄さんの身上を通じて、信仰心が強くなったって聞いてますね。だから当時は、兄さんのことばっかりかまっていて、あんたはほったらかしだったと(笑)。その後も、私は元気だったのですが、5年前に潰瘍性大腸炎の診断を受けました。でも、症状が軽い方なので、おかげさまで比較的元気に過ごしています。
□教会にはよくは行っていましたか?
柴田:教会はよく行ってましたね。小学校の近くだったので。なんかあったら、錦之旗に行ったりしていた印象です。私にとって、会長といえば、昇治郎さんですね。
□おぢばがえりの思い出を教えてください
柴田:たぶん、幼少期に年祭の団体で行ったのが初めてだと思います。青い三角のスカーフして、バスや船に乗っておぢばにかえり、鎌倉の大仏さんを見に行ったりもしましたね。その後、こどもおぢばがえりで2回くらい行ったと記憶しています。
それからは、社会人になるまでなかなか行けませんでした。でも、自分の節目の時に行かなきゃいけないなって思うんですよね。数年前に腰を痛めていて、周りからだめだよって言われましたが、どうしても行かなきゃっていう思いに駆られて、一人で飛行機に乗って行きましたね。そういう岐路に立たされることがあります。
▼しばた ゆたか 48歳 美唄南高、北海道介護福祉学校卒。美唄市内に就職後、札幌に居住を移し、介護職に従事する。家族は、妻と二人。仕事と信仰の両立を目指し、教えを仕事に生かし、教会を通じておぢばに心を運んでいる。
□本部神殿でおつとめすると、涙が出てしまうそうですが
柴田:もちろん、子どものころはなかったですけど、社会人になってからです。教会や自宅でのおつとめとは違うんですよね。おぢば特有というか、あの歌を聴くと、涙がボロボロ出てしまいます、不思議なことに。説明はできません。勝手に出るんですから。なんでだろう、感銘しちゃうのかな。
□神様を感じた瞬間はありますか
柴田:最近あったのは、母が出直したときの出来事です。およそ5年前になるんですが、その何年か前から、親孝行をかねて、私たち夫婦で美唄に住む母を連れて、毎年定山渓へ旅行に行っていたんです。でも、その時にどうも様子がおかしかったので、いつもなら札幌駅で電車に乗せて見送るんですけど、心配だから美唄のかかりつけ医に直接連れて行くことに。すると、岩見沢の病院を紹介され、最終的に札幌の病院で診てもらうことになりました。結局、緊急手術になって、母は術後まもなく出直してしまいました。
でも、普段一人暮らしですから、旅行中に体調変化に気が付けて良かったですし、しかも最後に行きついた先は、なんと私が通院している病院で、私の自宅からも近く、さらに担当してくださったお医者さんは、私の担当医だったんです。市内にたくさんある病院の、たくさんいるお医者さんの中でこんなことがあるんだなと。担当医も私の妻もびっくりしていましたね。
□お母さんが入院された日は、胆振東部地震の時期だったそうですが
柴田:そうなんです。だから、もちろん病院は停電してはいませんでしたが、家から近かったので、必要なものは妻が歩いて持って行けました。これは、絶対神様のおかげだと思いましたし、妻にもそのことを伝えたら、信じてくれていましたね。天理教がすごいというか、不思議に思ってくれていた。信仰のおかげで、ちゃんと近場ですべてがおさまったということはあったかなと。
でも、振り返ると、たぶん意識的に神様のおかげと悟るように、心がけている自分がいるような気がします。
□ゴミ拾いひのきしんのお話を聞かせて下さい
柴田:コロナ禍になったとき、神様からのシグナルだと悟って、自分でもできるゴミ拾いをしようと思いました。でも、当初は感染の危険もあり、妻に止められました。その後、徐々に予防方法もわかってきたので、母の5年祭を4か月後に控えて、「やらなきゃ」と強く思い実行しました。休日の朝6時から約3時間、市にボランティア用ゴミ袋を支給してもらい、買い物用のキャリーを妻に改造してもらって、それを引っ張りながらゴミを集めました。
□ハッピを着ていたんですよね?
柴田:ちょうど宗教問題が連日報道されている時期でしたが、もちろん天理教は悪い宗教じゃないし、こんなこともしているんだよっていうアピール、そしてにをいがけもかねて、ハッピを着てやっていました。すると、一度だけ「私、栗山のものだけど、がんばっているね」って直接声をかけてもらったときは、嬉しかったですね。でも、てっきり栗山の信者さんだと思って教会に問い合わせたんですけど、誰かわからなくて。もし、これを読んでいたら、名乗り出てほしいです(笑)。
□好きなお道の言葉はありますか?
柴田:「勇み立つ」っていう言葉が好きですね。行動することも、「勇み立つ」からできると思います。ゴミ拾いも、コロナが収束してもらいたいという思いと、母の年祭をきっかけにして始めることができました。天理教の言葉でも大事だから、大切にしたいなって思います。
□近々、おぢばにかえりたい思いはありますか?
柴田: 年祭には行きたいなと思いますね。いとこの定明さんもいるし。そこに向けてはおぢばにかえらなきゃなとは思いますね。また泣くかもしれませんけど(笑)
□仕事の中で、お道の教えが生きている部分はありますか?
柴田:私の場合は、それがないと精神的に参ってしまうかな。介護の現場で、人を傷つけてしまった事件を見聞きするじゃないですか。大変なんですよ、やっぱり。徘徊されたりとか、一人で看たりすると大変ですから。それを支えてくれてるのは、信仰であり、神様だと思っています。
▽奥様お手製のゴミ収集車。職場の方から譲ってもらった、買い物用キャリーを100均の材料で改造したもの。結束バンドと編み目のボードがあれば簡単に作れるので、皆さんも試してほしいとのこと。(左上、右上)
▽たくさんのゴミがちらかっている様子。地域の方へのにおいがけになれば、という思いも込めて(左下)
▽一番驚いたゴミは、まさかの自転車(右下)