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ご紹介に預かりました、松田理治でございます。こちら、夕張大教会にお寄せいただくのは、昨年の秋季大祭以来ということであります。本日はこの大教会の秋季大祭、滞りなく勤められまして、ご同慶の至りに存じます。紹介にありました通り、本部では海外部長という立場を務めております。
余談から入りますが、ローカルな話題として、今朝新聞を読んでおりましたら、日本の都道府県の魅力度ランキングが載っていまして、あるシンクタンクの調査1位、ご存知ですよね。北海道なんです。2位が京都、3位沖縄、4位東京、5位大阪、とまあ非常に順当なところなんです。奈良は多分下の方なんだろう、と思いながら、下の方からずっと上に登っても、なかなか出てこないんです。そうすると奈良県は第8位だったんです。意外でしょう。非常に古い都市ですから、京都、大阪と抱き合わせにして奈良に来る、というような方が多いんだろう、と思います。ゆくゆくは天理教教会本部があるから、奈良に魅力があるんだ、というような日がくればな、というように考えております。
さて今日は、大教会長さんから要請がありましたように、特に海外のおたすけの現場ですね、それについてお話を申し上げたいと思います。
諭達第四号が昨年の10月26日に発布されました。ですから、本部の秋季大祭、10月26日がやってきますと、もう1年ということになるわけであります。
今日の話は、その諭達に示されている、よふぼくの具体的な実践項目っていうのが、5つあると思っています。まず1つが、教会に足を運ぶということ。『よふぼくは、進んで教会に足を運び…』という下りが諭達に出てきますね。2つ目は、ひのきしんに励む、ということ。『日頃からひのきしんに励み…』というのは諭達に出てきます。3つ目が、身近な人ににをいがけをする。諭達には『身近なところから、にをいがけを心掛けよう…』というのが出てきます。4つ目はおつとめを勤める。『おつとめで治まりを願い…』と諭達にありますね。5つの最後は、おさづけを取り次ぐ、ということなんだろうと思います。『病む者にはおさづけを取り次ぎ…』と諭達にあるわけです。
この5つは、我々にとって新しいことではありません。年祭のこの旬でなくても、常日頃から本当はすべきことなんだろう、と思いますけれども、この三年千日という期間に、特に力を込めて務めてもらいたい、というのが、真柱様の諭達に込められた思いであろう、と思うんです。
今日の話は、結論から言えば、海外では所々の言語とか地理とか、習俗とか法律とかに合わせて、本教の活動を進める必要があります。日本では当然、日本語で活動します。けれども外国では、その国の言葉でするということが、求められます。先ほど申しました、その5つの項目、教会に足を運ぶ、おつとめを勤める、にをいがけをする、おさづけを取り次ぐ、ひのきしんに励む、というようなこと、これについては海外でも変わることはない、というのが結論であります。そのことについて、お話を申し上げます。しばらくの間、お付き合いお願い致します。
まずはその1つ目、教会に足を運ぶ、ということから、海外の実例を挙げて、お話を申し上げたいと思います。個人的な話になりますが、2006年の3月から2016年、前の年祭の12月まで、天理教シンガポール出張所長を勤めておりました。シンガポールに、8年弱住んでいたわけです。シンガポールってどういうイメージを持たれますか。西隣の中国からずっと南に下っていくと、マレー半島があって、マレーシアっていう国があるんですね。その先っぽに島がありますが、それがシンガポールなんです。シンガポールは、日本と同じように島国なんですが、国土は非常に狭い。どれぐらいの国土かと言うと、琵琶湖ぐらい、と言っても分からないですよね。そこで、この辺の地理でちょっと調べてみると、ここ岩見沢市に隣接する江別市というのがあるんですかね。その岩見沢と江別を合わせた面積が大体シンガポールぐらいなんです。非常に狭い国です。
ところが、そのシンガポールという国の人口が580万人。札幌市で大体200万人弱、だから札幌の人口の約3倍が、この岩見沢・江別に住んでいるという、小さい上に人でごちゃごちゃとした国なんですね。
シンガポール出張所の管轄するところは、シンガポールと隣のマレーシア、この2カ国なんです。教会はありませんけれども、布教所・講社がいくつかあって、その管区の統括拠点として、教会及び教務支庁的な役割が期待されています。海外の拠点、例えば伝道庁とか出張所、連絡所、色々ありますが、その中では規模においても信者数においても小さい方になるわけです。
シンガポール出張所長として勤めた8年弱の間、私は毎月、隣のマレーシアという国にある講社の講社祭に通っておりました。朝5時にシンガポール出張所を出て、バスに乗って、国境の間に海がありますから、長い橋を超えて、マレーシアの講社に行くわけですね。当然、国を跨ぐわけですから、パスポートも提示します。それを毎月しておりました。当然帰ってくる時も同じようなことをするわけです。
マレーシアにあるその講社のご主人は、中華系のマレーシア人、奥さんは日本人でした。いずれも60代の方で、若い頃に、ある日本人の布教師の導きによって、信仰を始められました。兵神大教会の部内に中吉川分教会があり、その部内に陰陽分教会があります。そこの会長さんの手引きによって、ご主人が信仰を始められました。勧められるまま、自宅に神様を祀って、講社祭を毎月勤めていらっしゃったわけなんです。けれども私が出張所長になるまでは、出張所に足を運んでくださるということはあまりありませんでした。
長い間、信仰してくださってたんですけれども、ご主人はまだよふぼくではなかったんです。当然おつとめも、座りづとめとよろづよ八首が出来る、ぐらいのものでした。そのご主人も奥さんも、共に身上事情がありましたから、ある日私はその2人に、「私があなたの講社に毎月通ってるように、お二人も出張所の方に、毎月通っていただきたいと思うんです。教会としての役割が期待されてる出張所に、毎月足を運んでいただき、ゆくゆくはおつとめを学んでもらって、おつとめ奉仕者になっていただきたい。またよふぼくになって、おさづけの取り次ぎもしてもらいたい」というお願いをさせていただきました。当然、おつとめ奉仕者になっていただくためには、おつとめを勉強していただかなければなりません。おさづけを取り次げるようになるには、よふぼくになってもらう必要があるわけです。先程申しました通り、ご夫婦には身上事情がありましたから、何かしらの成人をしなければならない、という風にちょうど思っておられた時だったんです。
それで、今までできなかったことをやろう、という心を定めてくださいました。具体的に言うと、毎月出張所に足を運んでもらう、ということと、おつとめを学ぶ、ということと、おさづけを取り次げるようになるため、よふぼくになる、ということでした。その心を定めてくれたわけです。そして、毎月の出張所の月次祭に足を運んでくれるようになりました。そうすると、私が毎月行くルートと、逆のルートを毎月来てくださるようになります。前日から出張所に来ていただき、月次祭の準備を手伝い、それが終わったらおつとめをしっかりと学んでいただいて、その日はシンガポールに泊まって、翌日の月次祭に備えてくださる、ということを、毎月してくださるようになりました。
やがて、夫婦揃っておつとめ奉仕者になって、揃ってよふぼくになっていただきました。
私が在任中、シンガポール出張所の開設40周年記念祭というのがあって、真柱様御夫妻に御臨席いただきました。そのおつとめにも夫婦揃って出ていただけるようになりました。また家族や親戚のみならず、お友達にも、にをいがけをしてくれるようになって、講社祭にはただおつとめを勤めるというだけではなくて、お呼びした人たちにおさづけを取り次ぐ、というようなことをしてくださっています。
マレーシアはイスラム教の国であって、そういうところで、にをいがけ・おたすけをする、というのは大変困難を伴います。そんな中、今もなお一生懸命やってくださっています。ですので教会に足を運んでもらう、ということを通して、お互いに成人して、共々に人助けに向かうことができたな、と私は実感してるんです。
ちなみにこの40周年記念祭の時には、実は真柱様に、マレーシアの講社に行っていただいたんです。そこまで成長していただいたわけですね。ですから、いかに教会に足を運ぶということが、個々の成人に直結するかということを、まざまざと実感させていただきました。
我々よふぼくのつとめとして、信者さんにしっかりと足を運んでもらう、声掛けは常日頃からしていかなけばならない。そしてそれが人々の成人に直結するということを信じて、声掛けをさせていただく、ということが必要なんじゃないかな、と私は感じております。
次によふぼくの実践項目の2番目の、ひのきしんに励む、ということについてお話したいと思います。今から20年以上前に、青年会でインターナショナルひのきしん隊というのがありました。これは海外の青年会員のための、ひのきしん隊ですね。そこで真柱様は、こういうことをおっしゃってるんです。「ひのきしんということは、外国ではどうか分かりませんけれども、少なくとも日本の国内では、天理教に関する色々な事柄の中で、一番知られている言葉であろうと思うんです」とおっしゃった。この「ひのきしん」という言葉は、日本という国では、天理教を知らない人にも、一番よく知られてる言葉じゃないか、という風におっしゃっているわけですね。それと同時に、日本のみならず、外国においても、実はこの「ひのきしん」という言葉は一番使われている言葉であろうと私は思ってるんです。なぜかと言うと、ひのきしんという言葉は翻訳されてないんです。不翻訳というんです。
翻訳というのは、例えば「紙」を訳すと、「ペーパー」になります。「水」を訳すと、「ウォーター」になります。ところが翻訳する言葉に、例えば、日本語から英語にする場合、そこの言葉にないものを訳す場合は、日本語からそのままそっくり使われる、ということがあるわけなんです。具体的な例で言うと、日本料理の中で寿司とか天ぷらとかありますよね。ああいうものって外国にはないので、そのまま「sushi」、「tempura」というように外国では使われる。芸事、スポーツにおいては、例えば歌舞伎とか、柔道とかそういうものもないので、外国ではそのまま使われる。あるいは日本独特の考え方とか、思想概念。例えば最近話題になっていた、もったいない、とか、これも多分訳せないと思います、侘び寂び。というのも、外国にそんな概念がないので、そのまま使われる。
我々の使ってる「ひのきしん」という言葉も、我々の生かされてる喜びを行いに表す、という風に説明的なことになるので、それはもうひのきしんという言葉で、そのまま使おうじゃないか、ということで翻訳はされていません。だから海外でも、ひのきしんという言葉を日常的に、天理教の仲間内では使うわけなんです。全教一斉ひのきしんデーを英語で訳すと、「Tenrikyo Hinokishin Day」になるんです。
考えてみますと、我々日本人の中でも、天理教を知らない人に対して、ひのきしんという言葉を使っても、そもそも理解していただけないわけで、そういう人に対しては、ひのきしんとは一体どういう意味なのか、ということを説明する必要があります。その場合、最も簡潔な言い方は、日々生かされてる喜びを行いに表わす、という言い方になると思うんです。我々は未信者の方に比べ、教えを深く理解しているはずですから、そこから例えば、かしものかりもの、十全の守護、たんのう、八つのほこり、というようにどんどんと関連付けることができます。ですので、ひのきしんという言葉を突き詰めていけばいくほど、教えの心髄に至ることができそうです。
ところが、日本においても海外においても、ひのきしんの言葉を日常的に使っているものですから、本来の意味をあまり考えないことが多いんです。ですので、ひのきしんの意味を分からない人には、正しく分かってもらえるよう、分かっている人にもしっかりと再認識してもらえるような場面が、普段からないといけない、と思っています。
おぢばにおいては、今年7月に、おやさと練成会というものが行われました。おやさと練成会というのは、海外の若い10代の教内子弟子女を集めて、研修をさせるわけですね。学生生徒修養会・高校の部の海外版のようなもの、という風に思っていいと思います。英語コースとポルトガル語コースと韓国語コースがありました。
英語の世界でもポルトガルの世界でも韓国語の世界でも、ひのきしんという言葉を日常的に使ってます。だから我々日本人と、そんなに変わるところはありません。
彼らの意見を聞いてると、大変興味深いことが、いくつか出てきました。彼らの中には、ひのきしん、と聞くと、肉体労働とか自己犠牲であるとか、自己満足であるとか、そういうものが思い浮かぶ、という風に言ってくるんです。実際、私も16、7の頃は、そうだったかも分かりません。あるいはそのボランティアとひのきしんとはどう違うのか、という問いには、ボランティアは自分の意思でやるものだけれども、ひのきしんはやらされるものだ、と思ってるんです。というのも、英語でいう「ボランティア」という言葉は、「志願する」とか、「進んで行う」という意味もあります。だから、そういう風に考えるのも、無理はないんです。あるいは、ひのきしんという言葉は、ある場所を綺麗にするために、都合のいい言葉だ、と言った人もいるわけですね。
ところが、おやさと練成会の講義や練り合いを通して、彼らにひのきしんの意味合いが本当に分かってくるようになると、彼らの態度がどんどんと改まっていくのが、目に見えてきたんです。
例えば、練成会のスケジュールの中で、掃除でも片付けでも、ひのきしんという言葉が使われていたのに反発していた者がいたんですね。しかし、ひのきしんの意味合いが分かってくるようになると、彼らはこういうことを言い出すようになった。「スケジュールの中にひのきしんという言葉が使われてるのは、スタッフたちが私たち学生に、ひのきしんの本当の意味を、忘れさせないようにしてくれているからじゃないか。」そういうように捉える者が出てきたんですね。そうすると他の者の中には、じゃあせめて、このひのきしんの最中は、生かされている喜びを常に心に置いてやろうじゃないか、と言い出すようになったんです。
それが進んでいって、例えば朝のおつとめの行き帰りの時に、生きてることの喜びが心の中にあれば、それはひのきしんになるのか、じゃあ食事をしてる時はどうなのか、お風呂に入ってる時はどうなのか、というように、どんどんと自分たちの行為に、生かされている喜びを関連付けるようになってきたんですね。正しいか間違ってるかはともかくとして、そうした心の変化というものを、非常に頼もしく思っていたんですね。
ですので、諭達で求められてる、ひのきしんに励む上で、その意味を真に分かる、ということが欠かせない、と私は思っています。本当に何の気なしに、ひのきしんに励む、という言葉を使ってますけれども、先ほど申しましたように、ひのきしんの意味を知らない人には、しっかりと伝える必要がある。またひのきしんの意味が分かっている人たちに対しても、しっかりと日々再確認していく。そういう作業が、先じてこの道についている我々に、必要なんじゃないかなと思います。
ひのきしんの機会というものは、私は丹精の機会、あるいはにをいがけの機会になるとも、私は信じています。
続いては3つ目、身近な人ににをいがけをする、ということについて、お話をさせていただきます。にをいがけということは、この道の教えとか、その精神を良き匂いであるとして、それを辺りに振りまいていくことの例えです。端的にはにをいがけを、例えば布教という言葉で表したり、伝道という言葉で言ってみたりするわけです。
ちょっと難しい話をしますけど、日本国憲法の第20条、信教の自由というのがあるんです。何人に対してもこれを保証する、と明示されています。信教の自由というのは、ある特定の教えを信じる自由があって、また宗教的行為、おつとめとか布教とかをする自由もあって、また同じ仲間が集まる結社の自由もあります。天理教を信仰するという自由、おつとめや布教に表すという自由、また教会・布教所を結成するという自由が、この日本国にあるわけなんです。
なんでこんな話をしてるかというと、海外では実はこれが当たり前ではないんです。世界の多くの国・地域では、信教の自由は、実は謳ってます。しかし、それは必ずしも、今言ったような日本における自由と、同じとは限りません。簡単に言うと、天理教を信仰することができても、布教はしてはいけない、という国・地域があります。ましてや宗教結社、つまり集まって活動する、というのは以ての他だ、というような国・地域もあるわけなんですね。
例えば、天理教にはインドネシア出張所・ネパール連絡所というものがあります。そこに天理教の出張所、連絡所があるんだけれども、実は国の法律に照らし合わせると、そういうものはいけない、ということになっている。だから、看板はかけていない。天理教海外部のホームページには、その2つは載せてないんです。そういうところもあるわけですね。
私の居たシンガポール、ここも一応信教の自由があります。誰がどの宗教を信仰しようと、構わないことになってるんです。天理教シンガポール出張所にしても、政府から認められた団体なんです。でも、活動するには、実は制限があるんです。言い出せばきりがないので、詳しいことは省きますが、こと布教ということに関しては、シンガポールという国では、シンガポール人が他のシンガポール人ににをいがけをしていいけれども、日本人を含めた外国人がシンガポール人に布教することはできないんです。実はそういう国・地域っていうのは、世界中にたくさんあるんです。
じゃあなぜ、私がシンガポール出張所長として、滞在許可が下りたのかというと、結局宗教指導者としての、シンガポール出張所からの呼び寄せですね。そういうことで労働許可証が出ていたわけなんです。しかし、天理教の信者とか理解者に教えを説くということはできても、何も知らない人に天理教の教えを説く、ということは私は許されていませんでした。
シンガポール出張所というところは、車で20分ほど離れたところに、文化センターというのを持っていて、そこで日本語教室をやっています。日本語を教えてるんですね。そこも、誰しもが日本語を学べるわけじゃなくて、一応天理教の信者、あるいは天理教の理解者ということになってもらって、初めて日本語教室に行ける、ということになってるんですね。私がいた時、最大300人の学生がいました。それだけ日本語を学びたい、という人がいたわけですね。
日本でも同じように、教会とか布教所で、色々な動きをしてるところがあります。例えば道場であったり、教室とか塾であったり、あるいは幼稚園とか保育所とか学童保育であったり、もっともっと一般的には少年会活動の一環として、鼓笛だったり和太鼓だったり、あるいは最近よく話題になってるこども食堂とか、そういうのもありますね。他にも色々あると思うんです。これらの活動に、それぞれ目的があるはずです。天理教の理解者となってもらった人に、日本語教室だけではなくて、いかにして出張所に足を運んでもらうか、ということが日本語教室をやってた目的でした。そうすると、私は理解者の人たちに、教えを説くということができるわけなんです。
実際に出張所で行事をすると、たくさんの人が来てくれるんですが、天理教の教えに真剣に耳を傾けてくれる人って、ほんの一握りなんです。300人いたら、本当に2人とか3人とか、それぐらいなんです。
そんな中、ある1人の女性が、おつとめに興味を持つようになったんです。その人曰く、自分は天理教のことはほとんど知らない、音楽も分からないけれど、あの琴という楽器、こんな私にもできるのか、と言うようになってきたんです。私は、今すぐおつとめということは無理だけれども、まずは練習から始めてみましょう、と答えました。ちょうどその当時は、シンガポール出張所の40周年記念祭に向けて、おつとめ奉仕者を増やしましょう、という動きをやってましたので、しっかりとその女性に琴を学んでもらおう、ということで私と妻はほぼ毎週、琴の練習の時間を持ちました。私も琴の調弦や糸の張り替えとか、そこまでできるように努力をしました。お互いの成人の場でもありました。その女性は、シンガポール国立大学という非常に優秀な大学があります、世界の大学ランキングに、トップ10ぐらいに入るような大学なんですが、そこの大学で博士号を取った研究者だったんです。非常に頭のいい人でした。まだおぢばにも帰ったことがなくて、別席も運んだことがなかった。でも私と妻は、その人に対して毎週、琴の練習をずっと施していったわけです。
やがて出張所のおつとめで、琴を勤めてくれるようになりました。おぢばに帰って、別席も運んで、よふぼくにもなってくれました。よふぼくになってないのに、おつとめ奉仕者になってくれた人が、結構いたんですね、シンガポール出張所に。果たしてこれで良いのか、と思ったこともあったんですけれども、当時の海外部長、宮森与一郎先生、今の内統領先生が「海外というところは、おぢばがえりが容易にできるようなところではない。そうした中で、真剣な人々の心を大切にするのは、出張所長の務めである」というように教えられたので、非常に安心した記憶があります。自分のやってきたことは正しかったのかな、というように思えた瞬間だったんですね。
おつとめということを通して、その人は自分の成人に繋げてくださったわけなんですけども、先ほどその人は頭のいい人だと申しました。でも私はその人が本当に偉かったのは、頭からじゃなくて形から入ったからなんです。人間というものは、頭で理解してから、形に表すことが多いもので、それが決して悪いことではなくて、むしろ普通なことであろうと思います。まず分からないことがあると、頭で考えて、これはできる、これはできない、というように判断していくものだと思うんですね。教典の勉強会をやった時も、まず形から入ったんです。まず丸飲みにするところから入ったんです。そうして日々の生活の中で、教えを実行して理解し、修得していきました。
彼女は今、台湾の教友の方と結婚されて、台湾に住んでいます。先月コロナ禍が終わって4年ぶりに、おぢばがえりをしてくれました。ご主人と子供2人、5歳と7歳かな、連れて帰ってきてくれました。帰国されてから私にメールをくれたんです。そのメールの中には、このように書いていました。「私にとってこの三年千日の目標は、子供たちをしっかりと育て、そして年祭に揃っておぢばがえりをすることです。その時には、私たちの子供に、鳴物をしっかり学び始めてもらいたいと思います」。だから彼女がシンガポールで通った道を、そのままに伝えてもらいたい。ひいては、おつとめの修得ということを通して、次の世代ににをいがけをしてもらいたいな、というように私は思っています。
(以下、次号へ)