私の父が会長になってこの場に立った時に、その日の直会で大教会の前会長様が、「卓哉、宇宙の話なんてしなくていいんだ。お前はもっと話せることがあるだろう」って言ったのを、覚えてるんですよね。
斯くいう私も、宇宙が大好きでして、その話は今日しようかな、とも考えたんですけども、前会長さんご安心ください。今日はしませんので。
まずお礼をさせて頂きたいと思います。
3月26日に任命のお許しを戴き、また5月19日には、五代会長就任奉告祭を務めさせていただきました。ここにいる皆様からも、本当に多大なお心がけを頂きました。
また、たくさんのラーメンのお供えがありまして、私がラーメンが好きだということを知ってる方が、本当にしてくれたんですよね。もう一年中食べれるんじゃないか、っていうぐらい、して頂いて本当にありがたい次第でございました。皆様本当にありがとうございました。それではお話に入らせて頂きたいと思います。よろしくお願いいたします。
私には姉2人妹2人いまして、今教会の近くに妹家族、また札幌の方に妹家族と、いてくれているんですけども、その札幌の方の妹の娘、僕から言ったら姪ですよね、その姪が札幌に住ん でるので、教会の近くの地域のことは、分かってないはずなんです。
けれどもある時、その子が3、4歳の時だったと思うんですけども、車に乗って由仁の田舎道を走っていると急に、「あ。私、ここ知ってるよ。私、ここに住んでたの」って言い出したそうです。その時聞いていたのは、川端に住んでいる妹が運転してたんですけど、「そうなんだ。お母さんどうだった?」って聞いたら、「綺麗な人だったよ」とかべらべら喋り出したそうですね。
また、その川端の妹の娘も、小さい時に「あ、思い出した。私ね、事故で死んだんだった」って急に言ったそうです。
私にも2人の子供がおりまして、長女がまだ2歳の頃に、家族で修養科に行かせていただきました。詰所のお風呂に入っていると、突然風呂のドアを開けて、「お母さん、じいちゃんいない」って言うんですね。娘からした『じいちゃん』っていうのは、私の父ではあるんですけども、当然知らない。
おそらくその『じいちゃん』というのは、私のじいちゃん、元詰所主任の、私の祖父を指しているんじゃないかな、そんな風にその時は思ったんですよね。少ししてから、詰所の階段のところで、一応確認してみたんですよね。「紬、じいちゃんのお部屋どこにあった?」って聞いたら、今主任室には好道先生が住んでらっしゃいますけども、その部屋を指したんですね。
知るはずがないんですけど。でも、そうはっきり言うんですよね。
娘が3歳になって、お風呂に入っている時に、私、胎内記憶とかそういうの聞くのが好きなもんで、たまに聞くんですよね。
でも大概ふざけて返したりするのが多かったりしたんですけど、その時は遊びに夢中になってまして、ポンと返してきたんですね。「お腹の中いる時どうだった?」「うん怖かった。暗くて」って言いました。「生まれた時どうだった?」「うんそれもね、怖かったから泣いてた」ってね。
あ、今日よく喋るな、と思ったんで突っ込んでみたんですよね。「お母さんのお腹に来る前、どこにいたの?」って聞いたら、考える間もなく、すぐに「ひろ君のね、おばあちゃんとこにいたの」って言ったんですよね。
ひろ君というのは下の息子、弟の大哉のことです。ひろ君のおばあちゃん、つまり私の母のことを言っていると、その時はそう思ったんですよ。でも僕の質問は、お母さんのお腹に来る前ですから、僕の母でもない。多分、前生の話をしてくれてると思うんですね。はっきりしてるのは、この子たち2人は、この魂2つは、前もすごく近くにいたんだな、ということです。
この生まれ変わりということ、天理教の教えの中でも、出直しと生まれ変わりというのは、お道を語る上でも、かしものかりものの教理についてすごく大事な、そして一般の人にすごく話しやすいといいますか、すごく大事なもんじゃないかな、という風に思います。
元の理の中でも、人間は幾度も生まれ変わりを繰り返しては、人間の成人の過程をこう伺うようなことも見受けられますよね。そして、出直しというのは、陽気ぐらし世界を建設する上でも、本当に大切な契機の1つなんじゃないかな、そんな風に僕は思います。
出直したら一旦、親神様の懐に抱かれて、いずれ親神様の思うタイミングで、思う場所に、生まれ変わってくる、と聞かせてもらいますね。でも、そのタイミングその家庭、というのは、本当に僕らには全く分からない、親神様にしか分からない。やはりタイミングとその家庭には意味があって、親神様がこうしてくださってるということは、生まれた家庭、周りの人たちにとっても、誰一人欠けることなく、大事な人が生まれてきたわけであると思うんですよね。
なので、それによって周りがまた一回り、陽気ぐらし世界に近づけるように、親神様がそこに生まれさせてくださった、と思うんです。
この話を2日前、私の上級の南幌分教会の会長様が、同じような話を善進道の月次祭でしてくださったんですよね。
その時すでに、この話をしよう、と考えていたので、「あ、先に言われたな」って思ったんですけども、今はあのパクったわけではないので、そこをちょっと押しておきたいな、と。
まあでも、理の親である会長さんと同じタイミングで同じ思いに至ったというのは、本当に嬉しいことだな、とそんな風にも思わせていただきます。