さて、愛知ではたくさんの方々と出会いました。通い先の方もたくさんできました。その中での通い先の方とのエピソードをいくつかお話したいと思います。
最初に私が初席を運んでもらったY君のお話をしたいと思います。
Y君は大学生で、大学休学中の子でした。9月頃に出会って、たまたま趣味が同じで、意気投合して連絡先を交換して、月1回くらい会うようになりました。
Y君は宗教に興味があって、曹洞宗系の高校に通っていたそうで、何か信仰をしたいと思っていて、曹洞宗の勉強をしています。と言っていましたので、天理教を教えるから信仰してみたらと言って、教務支庁に参拝してもらったり、天理教の話を色々させてもらいました。
そして、12月に初席の心定めでしたので、その時に別席のお誘いをしました。すると、来月ならという返事を貰えたので、1月28日に初席を運んでもらえるようになりました。
おぢばへは電車で行き、天理で働いていた妹に車を頼んで、別席へと向かいました。別席は傍聴願を出して、一緒に聞かせてもらいましたが、よふぼくになってから改めて聞くと、天理教の基本的なことをずっと説かれていましたので、初心に帰ったような思いでした。Y君も喜んでくれて、終わった後に色々と質問をされ、来てよかったと言ってもらえました。
この後、一層仲良くなり、今でも連絡を取り合っています。また、時期を合わせて、2席、3席とつないでいきたいと思っています。
また1月は全員帰参という心定めで、帰参が決まっていない寮生が2人いて、しかも、10月、11月、12月と心定めを達成できずにいた月が続き、1月こそはという思いが強い月でした。なので、1月は後半になってくるとピリピリした空気になり、色々な節を見せられた月でした。しかし、27日に2人の帰参が決まり、28日に帰参が3人という奇跡が起きました。心定めに対し、本音でぶつかり合って、本気で取り組んだからこその結果だったのかなと思いました。
次は、一番最初の通い先のK君で、4月の初めに出会いました。
K君は20代の男性で、家は遠いのですが、教務支庁の近くでバイトしていました。その出勤途中に出会い、すぐ連絡先を交換して、バイト後に教務支庁に参拝に来てもらいました。
K君はたくさんの身上事情を抱えている子ですが、明るく生きています。K君とは月に2回ほど会い、教務支庁に参拝してもらったり、他の寮生とも仲良くして、こども会の手伝いもしてくれました。そんなK君をおぢばへと誘った時がありました。9月のことでした。K君自身は行ってもいいと言ってくれ、日にちを決めて準備を進めていましたが、K君のお母さんからの反対にあって、帰参は無し。連絡も取れなくなりました。
半年ほどの付き合で仲良くしていたので、ショックではありましたが、これも何かのお手引きだと思い、この反省も込めて、頑張っていこうと思っていましたが、一週間しないうちに普段、会わないような場所でたまたま会って、また連絡を取り合い、会うようになりました。やっぱりいんねんあるんだなと思いました。
お母さんが反対しているだけで本人的にはまた会いたかったそうで、また同じ関係に戻ることができました。結局、K君がおぢばへ行くことは無かったのですが、2月に教区参拝の心定めをした時にダメ元で教務支庁近くまで来るときは参拝に来てほしいと頼んだところ、毎回来てくれるようになりました。たまに夕づとめを参拝してくれて、本人曰く、みかぐらうたが好きだそうで、座りづとめの練習もしたりしました。
K君とは今でも連絡を取り合っていますが、まだまだ若いので、時間を掛けていつかおぢばへ参拝して、少しでも喜べるような日々を歩んでもらいたいなと思っています。
最後にIさんは80代の女性で、とても元気な方でした。その方自身は曹洞宗の信仰をしていて、身上事情も無く、何も困ってはいないのですが、天理教の話に興味を持って聞いてくれていました。
Iさん自身、色々な人助けをする方で、例えば、隣のマンションに目の見えない若い男性が住んでいて、その方が出勤する時に一緒に駅まで行ってあげたり、ごはんを作ってあげたりしていました。
そんなIさんと月に1、2回程度会っていたのですが、突然、留守の事が多くなりました。その時は連絡先までは交換していなかったので、連絡は取れていませんでした。しばらくして、家に訪ねた時に出てこられ、大腿骨を骨折して、入院していたと聞きました。玄関先で話すことが多かったのですが、リハビリ中で歩けなくて、外に出るのもしんどいという話でしたので、時々、電話でお話させてもらって、お願いづとめをさせていただいていました。しばらくして、家に遊びに来なと言われたので家で色々な話をさせてもらいました。
骨折した時のことを聞かせてもらうと、奇跡みたいなことがたくさん起こったそうで、その方は一人暮らしなのですが、たまたま弟さんがフラッと来ていて、その時に転んで骨を折ったので、すぐに病院に行けた。そして、お医者さんが驚くくらいにすぐ退院できたそうです。さらには、歩けなかなった時期に、隣の目の見えない男性のサポートを近所の友達の奥さんたちが協力して、やってくれていたそうで、Iさん自身もとても喜んでいました。
Iさんはずっと周りの人をたすけていて、その人から何かが返ってくるわけではなく、巡り巡って、自分がいざ困ったときに違うところから返ってくるもんだと言っていました。助けた相手に不足するのではなく、後の楽しみとして人を助けている方です。
また、なんでもチャレンジしないといけないとよく言っていました。なんでもやってみないことには何にもならないし、何にも変わらないから、とにかくやってみたらいいと言われ、にをいがけ、おたすけに歩いているのも素晴らしいことがと言ってくれました。
Iさんには、こちらがおたすけに行くというよりかは、励ましの言葉を貰ったり、アドバイスをくれる先生みたいでした。印象深いのが最後に家でお話した時に今まで着ているところを見たことのない真っ赤な服を着ていて、これは教祖からこの方の口を通してのお言葉なのかなと思いました。それくらい、色々なことを勉強させてもらいました。