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2024年6月神殿講話 祝梅分教会教人 高橋悟志

 私は昨年度一年間、布教の家の愛知寮へ行かせていただきました。愛知寮は全国の布教の家の中でも一番長い歴史があり、私は73期生でした。

 布教の家に入った理由は、祝梅の美津志前会長、太志現会長が布教の家愛知寮を出ていたこともあり、前々から布教の家に入るものだと思っていました。とりあえず、布教の勉強をするには、布教の家に入ればいいだろうという軽い気持ちで入りました。北海道寮には申し訳ないですが、入る寮は愛知寮一択でした。

 愛知寮73期生は全部で6人いて、上が32歳、下が26歳で私は上から2番目でした。

 愛知寮には「日々コツコツ」というスローガンがあり、毎日少しづつでもコツコツと通らせていただくこと。続けるが誠。それが大きなご守護へと繋がるのだと教えていただきました。

 

 また、最初に入った時には驚いたのですが、愛知寮では、拝をする時に額を畳にこすりつけるように拝をします。これは、「低い心」というのを意識する為にしているそうで、今では体が慣れてしまって、気を抜くとやってしまいそうになっています。

■ 心定め篇

 愛知寮でのにをいがけは基本的に自由で、何をしてもいいです。朝の9時から16時までにをいがけに歩きます。ひたすら戸別訪問に歩いたり、駅や公園でチラシ配りや声掛けをしたり、通い先の方に会いに行ったり、様々でした。ただ、毎日何の目標もなくいると、サボったり、モチベーションが下がったりするということで、気持ちを引き締める意味もあり、愛知寮では毎月心定めをして、一ヶ月、その目標に向かって勇んでいました。月末になると、寮長、副寮長、育成員やカウンセラーの先生方と練り合いをして、一ヶ月を振り返り、次の月にどんな心定めをしなければいけないかというのを話し合っていました。

 最初の3か月は、とにかく歩けという寮長先生のお言葉もあり、訪問件数を中心とした心定めでした。それ以降はおぢば帰参に重点を置いた心定めとなっていきました。

 思い出深い心定めをお話したいと思います。

7月にこどもおぢばがえり帰参15名という心定めをしました。

こどもおぢばがえりには毎年愛知寮しゃちほこ隊という名前で参加していて、前の年はコロナの影響もあり、参加者1名だったり、別の年ではチラシ2万枚を配って、参加者2名という時もあったそうです。今回は、マイクロバスをレンタルして、その席数から15名という数を決めました。

愛知寮では、5月から毎月近所のこどもを集めて、こども会をして、縁日や流しそうめんなどをしました。そこでこどもおぢばがえりのPRもしていました。記念すべき第一回こども会に私たちはとんでもない記録を打ち立てました。なんと近くの全ての小学校の運動会と被り、参加者ゼロ名という前人未踏の記録を樹立し、大反省しました。しかし、それ以降は気合が入りまくって、万全の準備をし、毎回100名近くのこどもが集まりました。終わってから思うと、第1回から上手くいかなかったからこそ頑張りきることができたかなと思います。

7月は話し合いの結果、通常のにをいがけではなく、ひたすらこどものいる家庭へのこどもおぢばがえりのお誘いをすることになりました。担当エリアを決めて、ひたすらチラシを配る毎日でした。そうすると、あっという間に15名集まりました。こども会をきっかけに来てくれたり、以前に参加してくれた子がまわりを誘ってくれたそうで、こどもおぢばがえり初参加11名というとても有難い結果になりました。参加したお子さんたちも絶対来年も行くと言ってくれ、大きなケガや病気も無く、大成功で終えることができました。

にをいがけ以外にも全員で理作りをしたり、各々できることをして、とにかくこどもおぢばがえりの成功に向け、頑張りました。「一手一つ」という言葉がとくに身に染みた月でした。

普段、にをいがけしていると、こどもおぢばがえり行ったことあるよと言ってくれる大人の方も多くいました。この時に参加してくれた子たちへのにをいがけの種がいい形で芽吹いてくれればなと思います。

余談ですが、この後、9月に最後のこども会をしたのですが、その時、こどもおぢばがえりに来てくれた子たちも来てくれ、別の小学校の子たちが遊ぶようになっていて、こどもおぢばがえりを通じて、友達の輪が広がったことに感動しました。

月によっては、達成できなかった心定めもありました。

10月は秋季大祭団参に通い先の方12名の参加を目標にしました。しかし、最終的に通い先の方の参加は半分の6名でした。この一ヶ月頑張っていなかったわけではなく、9月頃から声掛けをはじめ、手ごたえもあり、途中までは12名の参加があったのですが、直前にキャンセルが相次ぎ、このような結果になりました。これはどんな神様からのメッセージだろうと練り合いをしました。

しかし、よく考えてみると、当日、参加者は24名内通い先6名でした。以前から愛知寮に繋がる教区の信者さんにも参加いただいていたのですが、その方たちへの世話取りも必要で、通い先の方々も車いすが必要な方や足が悪い方も多く、通い先の方が12名来ていたら、世話取りも満足にできないまま、色々な方に不足させて終わっていたなと気付きました。親神様、教祖が私たちの身の丈にあった全員が満足して帰れる丁度いい人数に調整してくださったのかなと思うと、有難いご守護を頂けたなと思います。

心定めには理作りが大事です。心定めをしたその理を受け取るための器づくりとして、理作りをすること。その理を受けるために頑張ることに意味があって、結果も大事だけど、その過程の方が大事なのだと言われました。できないなと途中であきらめるのではなく、できない中でもやり通すことでわかることやその中でのご守護をいうのもあるのかなと思います。

失敗をしても、支えてくれる方や諭してくれる方がたくさんいる環境で、色々なチャレンジをすることができました。

■ 通い先篇

さて、愛知ではたくさんの方々と出会いました。通い先の方もたくさんできました。その中での通い先の方とのエピソードをいくつかお話したいと思います。

 

最初に私が初席を運んでもらったY君のお話をしたいと思います。

Y君は大学生で、大学休学中の子でした。9月頃に出会って、たまたま趣味が同じで、意気投合して連絡先を交換して、月1回くらい会うようになりました。

Y君は宗教に興味があって、曹洞宗系の高校に通っていたそうで、何か信仰をしたいと思っていて、曹洞宗の勉強をしています。と言っていましたので、天理教を教えるから信仰してみたらと言って、教務支庁に参拝してもらったり、天理教の話を色々させてもらいました。

そして、12月に初席の心定めでしたので、その時に別席のお誘いをしました。すると、来月ならという返事を貰えたので、1月28日に初席を運んでもらえるようになりました。

おぢばへは電車で行き、天理で働いていた妹に車を頼んで、別席へと向かいました。別席は傍聴願を出して、一緒に聞かせてもらいましたが、よふぼくになってから改めて聞くと、天理教の基本的なことをずっと説かれていましたので、初心に帰ったような思いでした。Y君も喜んでくれて、終わった後に色々と質問をされ、来てよかったと言ってもらえました。

この後、一層仲良くなり、今でも連絡を取り合っています。また、時期を合わせて、2席、3席とつないでいきたいと思っています。

また1月は全員帰参という心定めで、帰参が決まっていない寮生が2人いて、しかも、10月、11月、12月と心定めを達成できずにいた月が続き、1月こそはという思いが強い月でした。なので、1月は後半になってくるとピリピリした空気になり、色々な節を見せられた月でした。しかし、27日に2人の帰参が決まり、28日に帰参が3人という奇跡が起きました。心定めに対し、本音でぶつかり合って、本気で取り組んだからこその結果だったのかなと思いました。

 

次は、一番最初の通い先のK君で、4月の初めに出会いました。

K君は20代の男性で、家は遠いのですが、教務支庁の近くでバイトしていました。その出勤途中に出会い、すぐ連絡先を交換して、バイト後に教務支庁に参拝に来てもらいました。

K君はたくさんの身上事情を抱えている子ですが、明るく生きています。K君とは月に2回ほど会い、教務支庁に参拝してもらったり、他の寮生とも仲良くして、こども会の手伝いもしてくれました。そんなK君をおぢばへと誘った時がありました。9月のことでした。K君自身は行ってもいいと言ってくれ、日にちを決めて準備を進めていましたが、K君のお母さんからの反対にあって、帰参は無し。連絡も取れなくなりました。

半年ほどの付き合で仲良くしていたので、ショックではありましたが、これも何かのお手引きだと思い、この反省も込めて、頑張っていこうと思っていましたが、一週間しないうちに普段、会わないような場所でたまたま会って、また連絡を取り合い、会うようになりました。やっぱりいんねんあるんだなと思いました。

お母さんが反対しているだけで本人的にはまた会いたかったそうで、また同じ関係に戻ることができました。結局、K君がおぢばへ行くことは無かったのですが、2月に教区参拝の心定めをした時にダメ元で教務支庁近くまで来るときは参拝に来てほしいと頼んだところ、毎回来てくれるようになりました。たまに夕づとめを参拝してくれて、本人曰く、みかぐらうたが好きだそうで、座りづとめの練習もしたりしました。

K君とは今でも連絡を取り合っていますが、まだまだ若いので、時間を掛けていつかおぢばへ参拝して、少しでも喜べるような日々を歩んでもらいたいなと思っています。

 

最後にIさんは80代の女性で、とても元気な方でした。その方自身は曹洞宗の信仰をしていて、身上事情も無く、何も困ってはいないのですが、天理教の話に興味を持って聞いてくれていました。

Iさん自身、色々な人助けをする方で、例えば、隣のマンションに目の見えない若い男性が住んでいて、その方が出勤する時に一緒に駅まで行ってあげたり、ごはんを作ってあげたりしていました。

そんなIさんと月に1、2回程度会っていたのですが、突然、留守の事が多くなりました。その時は連絡先までは交換していなかったので、連絡は取れていませんでした。しばらくして、家に訪ねた時に出てこられ、大腿骨を骨折して、入院していたと聞きました。玄関先で話すことが多かったのですが、リハビリ中で歩けなくて、外に出るのもしんどいという話でしたので、時々、電話でお話させてもらって、お願いづとめをさせていただいていました。しばらくして、家に遊びに来なと言われたので家で色々な話をさせてもらいました。

 

骨折した時のことを聞かせてもらうと、奇跡みたいなことがたくさん起こったそうで、その方は一人暮らしなのですが、たまたま弟さんがフラッと来ていて、その時に転んで骨を折ったので、すぐに病院に行けた。そして、お医者さんが驚くくらいにすぐ退院できたそうです。さらには、歩けなかなった時期に、隣の目の見えない男性のサポートを近所の友達の奥さんたちが協力して、やってくれていたそうで、Iさん自身もとても喜んでいました。

Iさんはずっと周りの人をたすけていて、その人から何かが返ってくるわけではなく、巡り巡って、自分がいざ困ったときに違うところから返ってくるもんだと言っていました。助けた相手に不足するのではなく、後の楽しみとして人を助けている方です。

また、なんでもチャレンジしないといけないとよく言っていました。なんでもやってみないことには何にもならないし、何にも変わらないから、とにかくやってみたらいいと言われ、にをいがけ、おたすけに歩いているのも素晴らしいことがと言ってくれました。

 

Iさんには、こちらがおたすけに行くというよりかは、励ましの言葉を貰ったり、アドバイスをくれる先生みたいでした。印象深いのが最後に家でお話した時に今まで着ているところを見たことのない真っ赤な服を着ていて、これは教祖からこの方の口を通してのお言葉なのかなと思いました。それくらい、色々なことを勉強させてもらいました。

■ 内内が治まれば

布教の家の一年では色々な学びを得ました。

印象深い話は、副寮長先生はよく、人間誰にでも平等にあるものは何かわかりますか。と聞かれます。それは時間です。時間は総理大臣でも真柱様でも私でも子供でも老人でも皆同じ24時間が与えられています。誰かをたすけたいのなら、自分の時間を誰かのために使いなさいと言われます。お願いづとめをしたり、ひのきしんをしたり、その方とたすかりを願って、時間を御供させていただくことが真実の姿であると聞かせてもらいました。

布教の家の寮生がお昼ごはんを食べていないのは、別にお金が無いからとか自分の追い込んでいるのではなく、その時間を御供させていただくことで、たすかりを願っているのだと教えてもらいました。

布教の家では出会う方すべてといんねんがあって、意味のある出会いだと教わります。その中でも同期の寮生とは、深いいんねんがあるのだなと思いました。先輩や後輩の方たちを見ても、やっぱり同期が一番いい意味でも悪い意味でも相性が良かったのだなと思います。

誰も知り合いではない状態から、仲良くなり、時にぶつかり合い、不足をし合った一年ではありましたが、人は鏡とも言いますが、相手を通して、自分のいんねんの自覚や足りないところを見せられ、成人させて貰えたと思います。

祝梅の前会長である祖父の話の中に「まご心の言葉」という話がありました。

「させていただく」という奉仕の言葉、「ありがとう」という感謝の言葉、「ごめんなさい」という謝罪の言葉。この三つの言葉を本心から言えなければ、明るい暮らしは生まれてこないよと。あります。

振り返ってみると、男6人で暮らしていると、色々なことに不足しがちで自分ばっかりこれをやっているとか、相手に対して、ちゃんとやれよとかいろいろなほこりを見せられることも多くありました。年齢に違いはありますが、誰に対しても、相手を尊敬、尊重する気持ちや低い心が陽気ぐらしのカギとなっていくことに改めて気付かされました。

内内が治まれば、よりよい結果を与えてもらえたそんな一年だったと思います。

 最後の卒寮の集いの時のお話で、布教の家の卒寮はやっと仮免許がとれただけと言われました。にをいがけおたすけは頑張ったら頑張っただけ成果が上がるものではないけども、日々コツコツと続けていくことで必ず最後には大きなご守護を頂けるものだと思います。今後も布教の家での気持ちを忘れずに頑張っていきたいと思います。

 

ありがとうございました。