□夕張在住当時の思い出を教えて下さい
森下:記憶がないような頃から、やんちゃだったみたいだね。本人は、そうは思っていないけど(笑)。その頃から、教会にはよく通っていてね、何かあれば必ず行っていました。学生の頃なんか、明日試験だっていったら、お願いしに行っていたし。当時は、そういうお願いがダメだっていうのは知らなかったからね。
□森下家の信仰の元一日はご存じですか
森下:私の祖父、森下正五郎からですね。なぜ信仰を始めたのかは知らない。教会の隣だからじゃないかな(笑)。
□幼少期、交通事故に遭われたそうですが
森下:6歳のときだったから、当時の記憶はほとんどないです。でも、手術室の風景、それと轢かれた直後に、親父が戸板じゃないけど、板におれを乗せて、病院に連れて行ってくれた記憶はあります。あとは事故後に、トラックに轢かれる夢を見たりしましたね。
まあ、その事故がきっかけで、「あなたは三宝にのせて、神様にお供えされたんだからね」って言われることになりました(笑)。栗山の勢奥さん(栗山分教会四代会長夫人、東春山分教会二代会長)は、北張の教会に来るたび、おれの顔見たら必ず、そのことを言っていましたね。
▼もりした よしあき 75歳 夕張工業高、北海道自動車短期大学卒。自動車販売、電気屋経営、トラック運転手など様々な業種を経験。現在、妻と二人暮らし。幼少期に交通事故をご守護いただいたことから、変わらない信仰心を胸に、自らができるにをいがけ、ひのきしんに励んでいる。
□信仰する上で尊敬する方は
森下:猪児ステさん(北張分教会三代会長)ですね。ステ会長を一言で言ったら、ものすごくフットワークの軽い人。おれが札幌で電気屋やっていた頃、うちに来た後に、ちょっと行ってくるわ、って言って東春山のある岩手まで行っちゃう、そういう人だったね。
□ステ会長当時は、子ども会も頻繁に開いていたそうですが
森下:電気屋やってたころは、月次祭には毎月行っていたけど、お泊り会とか結構やってました。できれば今年とかは、自分が教会に行って、それの下準備くらいはできたらいいなって思っています。
□神様を感じた瞬間はありますか
森下:生意気に聞こえるかもしれないけど、「おれには神様がついているんだ。きっと護っていただけるんだ」って、常にそう信じています。あれだけ大きな交通事故で助けられた自分にとっては、それがごく当たり前の感覚になっています。普通だったら死んでたかもしれないんだからね。
ラッキー要素としては、その時夕張が産業トップの時期で、そこにある病院だったというのはあるかな。今では考えられないくらい大きい街だったし、当時は札幌以上だったと思いますよ。
□信仰に対して否定的な気持ちになったことは
森下:全くないですね。一例だけど、電気屋がうまくいかなくなって、成田に来るときに、まず神様を持ってきたってことは、否定する要素なにもないよね。自分たちのことよりも一番先に神様。神様を置いてくるってことは、命捨ててくるのと一緒っていう感覚です。
□印象的なおぢばでの出来事ってありますか
森下:初席(一番最初に運ぶ別席)のときに、誓いの言葉ってありますよね。私がそのお誓いに行ったとき、聞いて下さった先生が、なんと増平会長さん(夕張大教会四代会長)でした。そのとき、ステ会長が同行してくれたんだけど、お互いびっくりしてましたね。
□修養科に来たきっかけを教えて下さい
森下:修養科にはね、長年無事においていただいているお礼で来ようと思って、かなり前から来ることは決めてた。でも、きっかけがなかなかつかめなかったんだけど、北張の教会の百周年が終わったので、それを区切りに来させてもらいました。
□修養生活を振り返っての感想は
森下:修養科は長年無事においていただいていたお礼の意味と、もう一つの理由として、実はひのきしんの勉強に来たんですよ。「一手一つ」っていうのをどうしたらできるんだろうということで。それで、自分もひのきしんさせてもらったり、クラスメイトのひのきしんの仕方を見たりして、一つの結論が出ました。
やっぱり、助け合ってやっているっていうのが大きかったね。まずは第一に、人に喜んでもらえるひのきしん、そして自分も喜べるひのきしん、さらには親神様、教祖に喜んでもらえるひのきしんに繋がっていく。これができれば陽気ぐらしの道につながるだろうというのが、この三ヵ月の結論です。
□この経験を生かして、今後どのように歩んでいきたいですか
森下:周囲の人にあてにされる人生を送りたいですね。これは最高の人生じゃないですか。特に年齢を重ねてからは。例えば、ご近所さんでブレーカーが落ちても、飛んで行ったり、草刈り頼まれたりとか、いろいろあてにされたりね。そしてそれが、私なりのにをいがけだと思っています。
□好きなお道の言葉はありますか?
森下:やっぱり「陽気ぐらし」ですかね。みんなそれを願っていると思います。
□長い間、「日々の理」を続けているそうですが
森下:約30年、毎日100円ずつ続けて、それを半年に一度、会長さんが来られたときに、お渡ししています。これは最初、千葉でお世話になっている別の教会長さんに、すすめられて始めました。やりだしたときは、辛かった。なんで辛かったかって、単純に、御供するものがなければできない。ジュース飲みたいと思っても、ポケットに入っている小銭を使ってしまったら、次の日の理立てができなくなる。だから、節約と我慢。そして、継続は力なり。つくづく思いますね。
これができたら、本当になんでもできると思います。これは、自信を持って言える。これは簡単なようで難しい。すべて、陽気ぐらしへ繋がってくると思いますよ。
□信仰を伝えていくために必要なことは
森下:私が教会から離れた千葉県に住んでいるので、どれだけお手伝いできるかわかりませんが、教会の間口を広げる、つまり、教会が気楽に話ができるような場所になってほしいなと思っています。要するに遊びに来てほしいなと。最初から、「天理教ってなんですか」っていう人はなかなかいないのが現実。「私、信仰したいんですけど」なんて奇跡に近いですよね。
営業マンをしていた、そのつたない経験から言うと、「説得」っていうのはモノが売れない。やはり「納得」してもらうから売れる。だから、信仰と営業は一緒じゃないかもしれないけど、「納得」してもらえるような話し方、伝え方が大切だと思いますし、それができるようになる努力を、これからも続けていきたいですね。
□最近、にをいがけしている方はいますか
森下:そういえば、近所でがんになったAさんがいるんですが、私が修養科に入る前に、入院したりして自分が留守の間、畑の世話や庭の芝刈りをしてくれないかと頼まれました。それで、私がこっちに来ている間に、お世話になりましたって、うちにお礼を持って来てくれたらしいんです。私もいろいろ考えましたが、せっかく今こういう形でおぢばに来ているんだから、うちの奥さんにそのお礼をそのまま北張に御供していいか、Aさんに聞いてくれって頼んだら、本人も快く了承してくれて。
でも、なんでそんなにすんなりいったかと言えば、会長さんがうちに来てくれたときに、Aさんとも一緒に畑やったりして、みんなで話せるような雰囲気をつくるように努力してたんですよ。だって、おれがにをいがけするより、会長さんの方がいいなと思いましたし。まあ、すぐには信者さんにならないかもしれないけど、天理教の話は聞いてくれる。そこからでいいんじゃないですかね。